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ミッキーが2歳4か月の時、三男のユウキが生まれます。

ミッキーユウキも助産院で出産したので、子供たちも立ち会わせてあげたかったのですが(ミッキーが生まれた時は、間に合わなかった旦那さんの代わりにゲンキが立ち会ってくれました)、陣痛が強まってきたのが夜の11時頃。子供たちは実家で寝かせたまま旦那さんと助産院に向かい、「まだ大丈夫だろう」と話していたのに、2時過ぎに生まれてしまいました。3人目にもなって、ちょっと見通しが甘かったですね。ミッキーのお産の反省が、まるで生かされていません m(__)m

つまりミッキーにしたら、朝起きたらいきなりママがいなくなっていて、訳がわからないうちに「お兄ちゃんになったよ」と言われ、やっと会えたママは小さいふにゃふにゃ野郎を抱っこしていて、知らない人(お姑さん)に世話をされ、知らない保育園にいきなり行かされるはめになったのです。

まだ2歳のミッキー。どれだけ不安だったことでしょう。

私が入院して3日目、朝から一口も食べないと夕方に担ぎ込まれたミッキーが、私のむいたぶどうをむさぼるように食べていた姿を、今でも思い出します。本当に、ごめんね。

2歳を過ぎて、なかなか増えなかった単語がようやく増え始め、一気に20~30単語のおしゃべりができるようになっていたのに、私が退院して帰ってくると「ママ」しか言わなくなっていました。「お話してごらん」と言っても、話すことをかたくなに拒否する様子に、しばらくそっとしておくことに。結局、また少しずつ言葉が出始めるまで半年以上時間が必要でした。

性格も一変し、それまではいたずら大好きでいつもゲラゲラ笑っていたミッキーが、不安そうに私の姿をいつも探し、「ママママ」とひたすら私にかまってほしがるように。自分の存在が初めて脅かされた恐怖が、いつまでも残っている様子です。

ユウキが生まれた直後にゲンキの入学式があり、小学校入学という一大転機を迎えていたゲンキを中心に生活を組んでいたので、ミッキーのことを後回しにした感はあります。
まだ私の母が仕事をしていたので、お姑さんに産後来てもらったのもよくなかった・・・ 慣れない人と慣れない世話で、ミッキーがノイローゼのようになってしまいました。「ダメ」と言われすぎて、「ダメ」と言われるたびに癇癪を爆発させ、荒れ狂い、なぎ倒し、それでまた叱られ・・・の悪循環。それまでの子供らしい天真爛漫さが、すっかり消えてしまいました。

もしミッキーに発達障害があるとわかっていたら、もっとやり方を選んでいたでしょう。ゲンキを毎日送り迎えしてでも、慣れ親しんだ私の実家から通わせるべきだった。今ではそう思います。

発達障害をもつ子供は、ストレスや環境の変化にとても弱いのです。そう知っていても、予想できなかったほどのミッキーの荒れ方。産後3ヶ月ほどは、ただただ嵐に耐え忍ぶ・・・という生活でした。

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もしも私が死ぬ前に、1週間自分の人生をやり直せると神さまに言われたら、ユウキが生まれた時に戻って、ミッキーをずっと抱っこしてあげたい。大丈夫だよ、大好きだよと、ミッキーが安心できるまで、何度も何度も言ってあげたい。