ADHD

わざと悪いことをする原因

我が家の次男ミッキーは、自閉症スペクトラムとADHDの発達障害があります。

ミッキーはよく、「わざと悪いことをして」しまいます。

相手の反応を見るため、試し行動と呼ばれる行為だと思われます。だいたい、新しい場所に通い始めると、初めは借りてきた猫のようにおとなしく(固まっている)、少し慣れてくると相手を試すようにわざと悪いことをし、反応を見て信用に足る人物だと判定すると懐きます。

いたずらを通してコミュニケーションを図っている、と言えばわかりやすいでしょうか。

やられるほうは、たまったもんじゃありませんけど、まあそういう面はどの子にもあるかと思います。

ただ、年齢を重ねていくにつけ、「本当にやってはいけないこと」はやらないし、試すにしても「加減をしながら」やるものですが、ミッキーはその「微妙なさじ加減」が苦手です。

まず物理的な力加減が苦手で、ボール投げなどの運動も下手だし、鬼ごっこでタッチするときもけっこうな痛さで叩いてしまいます(興奮するととくに)。

さらに、社会的なコミュニケーションのさじ加減は、自閉症スペクトラムの人にとって、もっとも苦手な分野です。「友達になりたいから」、「友達の消しゴムを取って逃げたり」してしまうのですが、それをやると友達から嫌がられるという想像が、できません。

一つずつ丁寧に「それはいけないこと」「それをやったら、友達になれない」と諭していきますが、応用が効かないので、本当に一対一で一個ずつ言わないといけない感じです。なかなか適正なコミュニケーションや、人との距離がはかれません。


ですが、夏休みに特別支援学校の夏期集中講座に参加して、
→(「夏期集中講座への参加」)

言語聴覚士の先生が講座で

「自己肯定感が低いと、わざと悪いことをして気を引こうとする」

と話しており、「なるほど」と思いました。なんか、思い当たることありまくりで。

例えば、家庭ではわざと悪いことをする場面というのは、そんなに多くないんですよ。療育先でも通い始めはやるんですが、1ヶ月もするとスッと落ち着きます。でも幼稚園では結局、2年間通っても問題行動が収まりませんでした。

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なぜあんなに、幼稚園では悪いことばかりするのか不思議でした。「手が届くところに危ないものを置かない」や「見通しがつくように伝え方を工夫する」などの環境調整をお願いしたり、「叱るとよけいに悪いことをする」「叱るときはわかりやすく簡潔に」などの対応を話し合ったり、通級先の先生が指導に来てくれたりと、いろいろ動きはしましたが、あまり効果はありませんでした。

とくに行事前になると幼稚園の門が見えた瞬間からスイッチが入ってしまい、「きゃー」と自分でも興奮が止められなくなり、走り回っていろいろやらかしてしまう、というパターンでした。どうすればそのスイッチを防げるのかわからず、通級先の先生や療育センターの先生ともいろいろ相談しましたが「様子を見よう」で、結局2年間過ぎてしまいました。

でも、小学校に入ったらスッと落ち着いたんですよ。卒園式ではほとんど中にいられなかったのに、入学式では1時間近く座っていました。別人です。時折ウロウロしますが授業も座って受けていますし、幼稚園では絶対にやらなかった合唱や合奏、ダンスの練習にも積極的に入っているそうです。

ミッキーなりに「1年生になったら」という決意があったのでしょうし、私も切り替えるならこのタイミングしかないと思い、「1年生はそんなことしないよ」と折にふれて言い聞かせもしました。

でも一番大きな原因は、「幼稚園で自己肯定感が育たなかった」せいなのだと思います。
幼稚園では「無理して入らなくてもいいですよ」という、優しい排除が日常でした。

小学校では、できるところは入るものだという前提ですべてが動きます。できるように特別に支援をする、それが特別支援教育だという考えが先生方の間に一貫しています。

根底に流れる意識だけで、子供にこれだけ差が出るということを、まざまざと見ました。


幼稚園では先生方の対応も、よくなかったな~と感じます。

なぜか、幼稚園は口頭の指示にこだわっていたし(就学後に困るでしょうと言われました)。絵カードやホワイトボードを、もっと使ってあげればよかったのにと心から思います。1年生の授業だって、先生はきちんと黒板に書いたり実物を見せたりして、視覚的にもわかりやすいように工夫されています。それが、普通です。

また、幼稚園ではミッキーがひっくり返した物は、危ないからと先生がすぐに片付けていました。ミッキーも一応お手伝いはしているのですが、ほとんどやっていなくてもいつの間にか片付いてしまいます。これも、何度か「自分でさせてください」と伝えましたが「無理でしょう」と返されました。

小学校では、自分がひっくり返した物は、何時間かかっても自分で後片付けしないと、次の活動にいけません。これ、非常に大切なことです。自宅でもそうしています。
1学期は何度もそれで、ミッキーは「図工やりたい!」と大泣きして、帰宅後も荒れて大変でしたが、2ヶ月ほどでひっくり返さなくなりました。付き合ってくださった先生には、本当に頭が下がります。

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「ひっくり返したらいけない」と毅然と伝えながらも、「がんばって片付けよう」と隣で励ましてくださいました。自分のやったことの結果をきちんと見せる、自分にできるやり方で責任を取らせる。全て自分でやり遂げたからこそ、理解したのだと思います。

当たり前のことを、丁寧に教えてあげる。

発達障害があろうとなかろうと、子供を育てるために必要なことです。自閉症スペクトラムでなかなか社会のルールが理解できないからこそ、より丁寧に教えてあげなければなりません。

そして、自己肯定感が育たなければ、問題行動は収まらない。口先だけの優しさではなく、もっと根底の部分で子供を信じる。それが伝われば、必ず子供は変わります。

何度言ってもわかってもらえずイライラしますが、徒労感に苛まれることも多いですが、それでも、愛を持って教えなければならないのだと、でなければ絶対に身につかないのだと、自戒をこめて。

夏期集中講座への参加

我が家の次男ミッキーは、自閉症スペクトラムとADHDの発達障害があり、小学校も特別支援学級へ通っています。支援級に在籍する生徒へ、特別支援学校から「夏期集中講座」のお誘いがあり、参加してきました。感覚統合訓練を中心とした3日間の講座で、特別支援学校の子供たちに混じって、地域の支援級の子供も参加することができるそうです。

年長の時に、一度見学に行ったことのある支援学校なのですが、ミッキーはまるで覚えておらず、初めて来た場所認定で、初日はかなり緊張していました。

→(「特別支援学校へ見学に行ってきました」)

見学の時にも感じたのですが、やはり支援校は設備面で本当に恵まれています。

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ミッキーの大好きな、感覚統合室は大きなトランポリンやボールプール、吊り下げ遊具が整備され、どの子供たちも大喜びで遊んでいました。

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朝の会や授業では教室に入れない子も、運動の時間になると飛んできます。みんな本当に楽しそうにやっていたので、3日間だけでしたが通わせてよかったです \(^o^)/

ミッキーも、順番が待てるかしらと心配していましたが、「危ないことをしたらできません」と言われたのをちゃんと覚えており、やりたい一心で我慢していました。こういう思いっきり身体を使った遊びを、もっともっとやらせてあげたいのだけれど、なかなか場所がありません。

ボーネルンドなど民間の遊び場は他の子供が多く、人混み嫌いのミッキーはイライラしちゃうし、小さい子にぶつからないか気が気でない。衝動性が強い子を思いっきり遊ばせる場所には、いつも悩みます。来ていた保護者の方とも、「こういう部屋が家に欲しい」「宝くじ、当たらないかな」なんて、話していました (^_^;)

そしてもちろん、プログラムもよく練られたすばらしいものでした。集中が続きにくい子供たちに配慮され、ひとつひとつの活動が15分か20分くらいで構成されていますし、静と動の活動をうまく組んで飽きさせないように工夫されています。「あいさつ」「うた」などきちんと予定が黒板に書いてあり、終わった部分は当たり前のように消していってくれる先生に、「これさえ教室でやってくれたら・・・」と思わずにいられません。

支援校に来ていたら、この授業が毎日受けられるのかと、去年悩みに悩んだ選択に、また心がぐらつきます。でもやっぱり、支援校で見ると、ミッキーの発達障害は軽いんですよね・・・。感覚統合訓練は非常に魅力的ではありますが、勉強面を考えると、やはり支援級が最も妥当だったか・・・。まあ、いまさら悩んでもしょうがないのだけれど。

ミッキーも時折うろうろしていましたが、先生が上手に手品や体操で気持ちを引きつけてくださったので、授業にも積極的に参加していました。緊張していた初日とはうらはらに、最終日は帰りたくないと泣く程です。3日といわず、1週間くらいやってほしかったですね。

初めての場所で緊張感もありましたが、ミッキーは思いっきり身体を動かすことができて楽しかったようです。暑い中、通うのは大変でしたが(三男ユウキを預かり保育に連れていき、長男ゲンキを児童館に送り出し・・・)来年もぜひ、参加したいと思います。

発達障害の子どもと習い事


子育て中に気になる、「習い事」。

いつから?どんなものを?何が一番役に立つ?
最近は幼児教育、早期教育ブームで小さな子供向けの教室も多く、友だちが始めた・・・幼稚園のみんな習っている・・・とか聞くと、焦ってしまいますよね。

幼稚園か保育園かでも温度差はあるのでしょうが、私の周りの人では幼稚園に入ると何か1つはやっているという感じです。(私立幼稚園だともっと多いかな)
小学生になると、2~3つくらいが平均。(スイミングや英語、進研ゼミなどがトップ3に入ります)平日は連日習い事、という子も珍しくありません。

男の子に多いのは、スイミング、体操、サッカーや野球などの運動系。

幼児期にいろいろな体の動きを身に着けておくと、その後の発達にいいと言われます。でもまあ、コーチの指示が理解できて、見た動きを体で再現できるようになるには個人差もあるので、お子さんの様子を見ながら、今その子に必要そうで楽しめそうなものを探してあげるといいかと思います。

女の子はやっぱり、ピアノやバレエというお稽古系。

友だちがやっているから、友だちと一緒の教室に入りたいから、という理由も大きいようです。

3歳から英語通わせている人も、けっこういますね。う~ん、個人的には、幼児の間は NHK 「えいごであそぼう」見せてるくらいでちょうどいいんじゃね?って思いますが。
幼児期に2000時間インプットしたら、英語が喋れるようになる(絶対音感がつく)とか聞いても、本当に?って思っちゃいませんか。真面目で課題に一生懸命取り組む子なら、身につくのかもしれませんが、じっとしていられない集中力の続かない子には、しんどいんじゃないかな~と思います。

意外と、小学生くらいになってからのほうが吸収が早いし、親に言われてやっているよりも自分がしたくてやっていることは、びっくりするほど集中してぐんぐん伸びるので、普段の生活でいろいろな刺激に触れさせて、子どもの向き不向きがわかってから、親子で納得できる、しっかりとした教室を探してあげるのが、いいように思います。

発達障害があると(程度にもよりますが)、習い事は難しい場合があります。

とくにじっとしていられない、多動のお子さん。スイミングや体操では、安全面から断られることがほとんどだと思います。障害児スイミングの枠があるところも、肢体不自由のお子さんだったり、療育手帳を持っている重度のお子さんがメインになることが多く、内容も水慣れレベルで、きちんと泳ぎを教えてもらいたい場合は物足りなかったり・・・軽度の発達障害の子どもの受け入れ先って意外とないな~と感じます。

公文や幼児教室のようなところも、じっとできない子は難しいと思います。先生がマンツーでつけるところはいいですが、そうでないと他のお子さんへ迷惑をかけたり授業そのものが成り立たなかったり・・・

こだわりが強かったり、慣れない場所では不安が強かったり、ささいなことでパニックを起こしてしまったり、先生の指示が聞き取れない発達障害のある子どもは、集団で学ぶのは難しいかもしれません。

我が家の長男ゲンキも、こだわりが強く不注意が激しいグレーゾーンBOY。運動が苦手(というか興味がない)で、読書やブロック、工作が大好きという人でした。友だちにもあまり興味を示さず、これはあかんと思い、幼稚園で近所の体操教室に入れました。

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通い始めは見た動きをそのままマネできず、なんか一人ムーブメントが変でした。どうすればあんな風に体を動かせるのか、皆目検討がつきませんって顔で、困っていましたね。先生の指示もボーとして聞いていないので、できるはずがありません。

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しかも課題の途中でもいきなりピョンピョン跳び出したりして・・・一人3周ノルマのところ、半分できていればいいほうで、まじ月謝がもったいない・・・とヤキモキして見ていましたが、1年半ほど続けた年長さんの終わり頃、ようやく跳び箱やマット運動のコツがわかったらしく、急にできるようになりました。なわとびも、体操教室に通っていなければできるようにならなかったと思います。

ゲンキはボーとする不注意タイプで、他害や暴力的な行動がなかったので普通の教室でやっていけました。興味がないことにはまったく食指が動きませんが、やってちょうだいと言われた課題は真面目にやろうとするので、あえて習わせてよかったです。家で教えようとしてものってこないので、先生から教えてもらうほうが本人もやる気がでる感じ。またできないから興味がなかったのが、少しできるようになると本人も積極的になり、友だちの輪にも入るようになりました。幼児から小学生の頃、とくに男の子は、運動能力が社会性に直結するように感じます。

ゲンキは習得するまで人より時間がかかるので、就学前に体育でやりそうな動きを一通り習わせておいたおかげで、小学校でも落ちこぼれずに何とかついていけています。

次男ミッキーは多動・衝動性が強く、他害や破壊行為が激しいので、ちょっと普通の教室は無理だろうと思います。療育センターでの感覚統合訓練が終わってしまったので、水泳とか体操とか、何か体を使わせる訓練をやらせたいのですが・・・

→(「感覚統合ってなに?」)

小学校に入って、もう少し衝動性が落ち着いて指示を聞けるようになったら、考えてみたいです。

障害がある子ども向けには「療育」というものがあります。

ただ「療育」を受けるには、いろいろと手続き的なことがいるし、空きがないので1年待ちとかも多いし、すぐに受けられるとは限りません。

そこでゲンキのようにグレーゾーンで、ギリギリなんとかみんなについていける軽度の子は、習い事で代用するのもありだと思います。とくにYMCAは発達障害に理解があり、研修をきちんと行っているので、グレーゾーンの子に人気があります。

ただ相性は大事というか、合わない習い事に親のエゴで入れてしまうと、これは健常の子でもよくありますが、無理がたたって子どもが体調を崩してしまったり、チックが出てしまったりと、悪い影響が出ることもあるので、教室選びは慎重にしましょう。体験入会があれば、必ず事前に相性を確認してから決めたほうがいいと思います。

いろいろな習い事や教室があるかと思いますが、一番大切なポイントは「ほめて伸ばす」こと。発達障害が疑われる子には、スパルタや根性論は向きません。大きな叱り声や無理な指導に、パニックを起こしてしまう子も多いです。どんな教室でも、優しく、子どもに合わせて待ってくれる指導者を選ぶことをおすすめします。ゲンキの体操教室も、明るく元気なコーチが気前よく褒めてくれ、「今日の準備運動はAKBエアロビクスですから、お母さん方も一緒にどうぞ!」とか誘ってくれるので、とても雰囲気がよかったです。

こだわりが強い、一斉指示が入りにくい、いくつも指示を出されると混乱してできなくなる、できないとパニックを起こす、母子分離できないなど、気になる部分があれば必ず事前に先生に伝えることをおすすめします。発達障害が・・・と言うよりは、「こんなことが苦手だ」「こんな時は、こういう対応をしてほしい」のように、具体的にお願いするほうが先生も動きやすいと思います。一人だけ特別扱いはできなくても、少し気にかけてもらえるだけで全然違います。

幼児期には、いろいろな子がいます。
お母さんから離れられなくてずっと泣いている子もいれば、いつまでたってもテストに合格できない子もいるし、ゲンキのようにボーとして何もできない子もいます。ゲンキの通っていた体操教室も、4月は泣いている子続出でした。それでもコーチは「大丈夫大丈夫!」と太っ腹にどんな子も受け入れて丁寧に指導をしてくれました。「ほめられる」からがんばれて、「できた」から楽しいんですね。それを続けることで、本当にいきなり蛹から蝶になる瞬間がきます。必ず、きます。

子どもの可能性を信じて、子どもが楽しんでできる習い事を、探してあげたいなと思います。

もし安全面や体力面から今は難しくても、もしかしたら数年後にはまったく問題なく、やれるかもしれません。子どもに合わせて、その時を待ってあげればいいと思います。

発達障害の子供が増えている原因

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発達障害の子供は、増えていると言われています。
発達障害で「通級指導」を受けている子供は9万人以上おり、この20年で約7倍になったというデータもあります。

その原因ははっきりしていませんが、一つは、社会が排他的になり、以前は障害ではなく個性としてとらえられていた子供たちが、生きにくさを抱えているため。

また、発達障害という言葉が一般に知られてきたおかげで、親や保育者が子供の気になる様子に気づきやすくなり、診断がつきやすくなったためと言われています。

でも、私はそれだけではなく、生活様式の変化も大きいのではないかと感じます。それは感覚統合訓練を受けることで飛躍的に伸びたミッキーを見ていて、療育を受けなかったらどうなっていたかと思うせいです。

→(「感覚統合ってなに?」)

最近の子供は体幹が弱いとよく言われます。それは外で遊ぶことが減った、ボール遊びをしなくなった、便利な機器が多く発明され、生活のための動きが減ったことなど、生活習慣の変化が大きな原因です。

ゲームが出てきて、子供が外で遊ばなくなった。本を読まなくなった。友達と遊ばなくなった。さらには自由に遊べる公園が減った、少子化で近所に子供がいない、子供を狙った犯罪などの安全上の問題など、数え上げればきりがないくらい、子供をめぐる環境は時代とともに変化しています。

幼稚園でも、「最近の子は蛇口のひねり方から教えないと、水も出せません。自動水栓のお家が増えてきて、水道の前で手を出して待っている子も多いんです」なんて、笑えない話を聞きます。昔は、日常的に様々な動作をしなければ、生きていけませんでした。トイレだって、洋式よりも和式のほうが足腰を使いますもんね。掃除でも、ほうきの使い方や雑巾の絞り方など、以前は家庭で身についていたことが、意識的に教えなければできない子供達が増えたのです。

地域や大家族で育った昔は、社会性が今よりも発達しやすかったはずです。例えば、食事中の会話でも、母子で一対一でしか喋ったことがない子供は、人の会話を聞く、自分の会話の番まで待つ、多くの会話の中から必要な声を聞き取るなど、双方向性のある会話のスキルが身につきにくいです。

一概に昔がよかったとは、言えませんよ。
昔は学校に行けない子供も多かったし、家の手伝いで遊ぶ暇もなかったかもしれないし、医療の進化のおかげで、お産でも病気でも死ぬ子供は劇的に減りました。

それでも児童精神科医の佐々木正美先生も著書で書いているように、子供の遊びや生活をめぐる環境は、時代とともに悪化していると言わざるとえないと思います。子供同士で生き生きと遊べない、そんな子供が大人になったら、やはり精神症を発症しやすくなると書かれています。遊びが減ったこと。生活が様変わりしたこと。これが、発達障害の子供が増えている一番大きな原因ではないかと思います。

私も子供の頃の思い出と言ったらとにかく、いたずらも含めて、友達と毎日暗くなるまで遊び歩いたことばかりです。ブランコも砂場もジャングルジムも木登りも、やりたい放題でした。怪我もたくさんしたけれど、友達と山のように遊んだ記憶が、今の自分の核にあります。

今の子供たちは、もうそんな遊び方ができなくなっています。

虐待やいじめ、不登校やひきこもり、子供をめぐる問題は複雑化深刻化し、どこかで抜本的に改革しなければいけないはずなのに、もう無理かもしれないとも、どこかで思います。

社会が病んでいる。
子育てをしていて、一度も感じない親はいないのではないでしょうか?

電車の中で子供が泣いたら・・・病院で子供が泣いたら・・・お店で子供がぐずったら・・・そんなシーンは子育てをしていれば日常的にありますが、その親子に対する冷たい視線や心無い対応は、増えているのが現実です。発達障害のある子供には、その数十倍の圧力がかかります。大人がそうなのですから、子供社会でも同じです。違う人、違う存在に対する排外的な感情が、社会にあふれかえっています。

次男ミッキーも些細なことで泣いたり暴れたりするので、公園ではすでに「違う子」認定されて、仲間に入れてもらえません。私も一緒に遊ぶことで、かろうじてその場にはいれますが、たぶんミッキーは楽しくないでしょうね。でも、なんとか、友達と遊ぶ楽しさを教えてあげたい。友達と群れて遊ぶ中から学ぶたくさんのことを、ミッキーにもどうか味わってほしい。切に願います。

発達障害の子供たちは、社会性が育ちにくい特性の上に、友達と関わる機会そのものが少ないため、伸ばすことができないというダブルの壁が立ちはだかります。本当なら発達障害がある子供こそ、友達とたくさん遊ぶ経験をさせなければいけないのだと思います。

さらには、眼の動きや身体の使い方、バランス感覚といった、学力や社会性に一見関係のなさそうな部分が、実はとても大きく生活全般に関わっていて、そこが弱い子供は遊び中心の子供社会でやっていけない=社会性が育たないのだと思います。私も療育先で教えてもらうまで、身体の発達と心の発達がそこまで密接に結びついているという意識がありませんでした。

昔は、グレーゾーンの子も友達と外で走り回って遊ぶうちに、体幹や眼の動き、身体の動き全般がバランスよく伸びていき、そのうちそれ以外も凹凸が気にならなくなるくらい周りに追いつくのに対して、今では、ついていけない子はいつまでもついていけずに差は広がるばかりで、ついに「障害」と認定されてしまうような、そんな気がします。

過敏だったり鈍かったり、どうしても他の子と感覚が違う子は昔からいたと思います。社会性や言葉が伸びにくい、身に付きにくい子の割合は、実はあまり変わらないのではないでしょうか。漫画家の水木しげるも4歳まで話せずに、知恵遅れだと思われていたと自伝で書いています。それでもそんな彼の個性を周囲は受け入れ、「ゲゲゲの鬼太郎」などの名作を生み出すことができました。

最近は逆に、自閉症やADHDなど、発達障害のことが広く知られてきたからこそ、小さい頃から特徴的な行動をしていないか、親も保育者も必死に確認してしまっているようにも感じます。ブログを書いていても、「言葉の遅れ」や「自閉症特徴」などのキーワードで検索して来られる方は多いし、きっと必死で子供のことを理解しよう、どうにかしてあげたいという気持ちからなのだと思います。
自閉症スペクトラムやADHD、LDなど、子供によって個性は千差万別ですが、共通する特性に対して正しい接し方を心がけることで、子供も周囲の大人もぐっと生きやすくなるのですから、専門的な療育やペアレントトレーニングを受けることは大切だと思います。なぜ他の子と同じようにできないのかを、叱って育てるのではなくて、理解して寄りそって育ててあげることで、その子の人生は豊かで幸せなものになるはずです。

でも本当なら、発達障害があろうとなかろうと、子供の個性は一人一人違うものだし、違っていいはずです。その違いを認められない方向に、社会が向いているような気がしてなりません。そんな現代の社会で自分らしく生きていくためには、「障害」という看板を背負わなくてはいけないのかと思ってしまいます。とくにグレーゾーンの子供たちは。

そして、これからもっと、発達障害と言われる子供は増えていくと思います。
スマートフォンが出始めて、そう感じます。

スマホの害は、私はとても大きいと思う。長男ゲンキを育てていた頃には、スマホはまだ一部の人しか使っていなかったのに、今ではみんなが持っています。お母さんもお父さんも、空き時間はずっとスマホをいじっています。みんながみんなそうではないけれど、そういう親が増えているのは事実です。便利だし、つい見てしまうんですよ。気持ちは、よくわかります。
LINEやSNSで、ママ友同士の結びつきは強くなったかもしれないし、集まって子供を遊ばせやすくなったかもしれませんが、子供がぐずったらすぐにスマホのゲームをやらせて、自分たちはおしゃべりに夢中で、子供の要求には気づきません。

そうして育った子供は、どんな子になるのだろうかと思います。

もっと幼少時に適切に関わっていれば、何とか育ったかもしれない子供たちが、これからどんどんグレーゾーンで診断を取りにくるのではないかと危惧します。そうしてそのうち、定型発達児と発達障害児の割合が逆転したりしてね。それはそれで、面白いかもしれません。私たちの当たり前が、根底から覆る日が来るのかもしれません。それはきっと、子供たちからの「逆襲」なのでしょう。



精神科医の佐々木正美先生の、おすすめ著書。子供を育てるすべての人へ、読んでほしい1冊です。

発達障害バブル

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我が家の次男ミッキーは、自閉症スペクトラムとADHDの発達障害があります。長男ゲンキも、こだわりが強くマイペースなグレーゾーンBOYです。

次男ミッキーは、3歳から療育センターに通っており、5歳で「自閉症スペクトラム」「ADHD」の診断がつきました。小学校は、特別支援学級在籍です。

長男ゲンキは普通級在籍で通級に通っており、「自閉症スペクトラム」も「ADHD」も傾向ありのグレーゾーンだと感じますが、病院や療育センターには行っておらず、診断もとっていません。

→(「診断&障害名は必要?診断を受けることの意味」)


「発達障害バブル」という言葉を、聞いたことはありますか?

メディアで紹介され、「発達障害」が急速に社会の中で浸透しつつある今、少しでも言葉が遅かったり、少しでも他の子と異なる特徴を持つ子供たち、または生きづらさを抱えた大人たちが病院へおしよせ、発達障害の診断をとっている、その様子がまさに「バブル」だという指摘です。

発達外来や精神科の診察予約は数ヶ月待ち。療育を受けたくともどこも手一杯で、順番待ちをしなければならない現実。2012年の文科省の調査では、6.5%の子供たちに発達障害の疑いがあるとされました。ここ数年で割合が急激に増えており、「発達障害ビジネス」という言葉も出てくるほど、確かにバブル状態というのはうなずけます。



「発達障害」と言いたがる人たち (SB新書)
香山 リカ
SBクリエイティブ
2018-06-06


上記の本は、実際に発達障害を抱える当事者や関係者が読むと「よく言うよ」と感じる部分も多いですが、現在の社会情勢を見ると「言われていることも、まあわかるかな」と思います。

私は長男と次男を両方見ているので、「とくに診断を取るほどでもない人に、無理やり発達障害と診断名をつけることはない」と思います。ですが、本当に日常生活にも困っていてこのままでは生きていけないような発達障害の人が「薬を使って生きづらさを和らげる」ことも、必要だと思っています。

要するに、程度の問題です。まあ指摘されているように、「発達障害の定義はあいまいで、診察した医者によって変わる」ことや「血液検査や脳のCT検査などで、客観的に診断できない、問診やチェックリストによる診断」に問題があることは、私も感じています。

少し言葉が遅いだけで受診した3歳児にいきなり「自閉症スペクトラム」や「ADHD」の診断がつき、精神薬を処方されたなど聞くと、発達障害バブル、発達障害ビジネスは非常に危ういと感じます。早期療育は大切ですが、とくに低年齢の子への服薬は慎重になるべきと思います。
次男ミッキーも、多動・衝動性がかなり強い子なんですが、実際に「ADHD」の診断がつくまで2年間の経過観察がありましたし、服薬も6歳まで待ちました。

ひどい医者に当たらないように、受診者や保護者も気をつけることがまずひとつ。実際に診断を受けても、違和感があったらセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けたらいいと思います。とくに服薬は、信頼できる医師とでないとおすすめしません。





ですが、「発達障害バブル」が否定的に言われる中で、それでも「発達障害」というこれまで見えにくかった障害が、市民権を得たことは重要で大きなことだと思います。上記の2冊は、「人と関わりたがらない」「落ち着きがない」といった自閉症スペクトラムやADHDのステレオタイプではない発達障害やグレーゾーンの人々を紹介し、「変人」「努力が足りない」と見られがちな人々も、広義で発達障害に当てはまる場合があると書いてあります。発達障害は人によって特性が異なり、チェックリストには当てはまらない人々も多く存在します。それでも、生きづらさは変わりません。

割合が増えているとはいっても、発達障害を抱える人は少数派で、無理解に苦しみ、孤立感を抱いていることも少なくありません。特性によって苦しんでいる人々が「なぜこんなにも自分は苦しいのか」を知ることは、大切だと思います。周囲の人間も「この人達はここが異なっている」と理解して接することで、ずいぶん変わってくると思います。特性を個性と捉えて、受け止めて生きられるようになれば楽になる気がします。

要するに、社会の側の問題というか。
受け取る側の問題も大きいな~とは思います。



また発達障害ではなく、少し成長がゆっくりな子、今はゆっくりに見えても後から追いつく子、もいます。昔は「大器晩成」「遅咲き」などと言い、肯定的に育てていました。「発達障害バブル」とは、そういった多様性を受け入れられない、認められない、社会の器量の狭さが問題なのではないでしょうか。

私自身、周りの子供を見ていて、発達障害が増えている一因に、子供の育ちの場の問題があるのではと感じるので、なんか、ここまで来たら、社会に馴染めない人は「バブル」でもなんでも、どんどん診断名をもらって、社会現象化しちゃって、健常と障害の人の割合がひっくり返るとこまでいっちゃえば、やばい!ってんで、何か変わらざるを得ないかもしれないと期待します。

社会が、受け取る側が変われば、発達障害は障害でなくなるかもしれない。

社会のバリアフリー化を「発達障害バブル」が後押ししてくれるかもしれない。

発達障害がなくとも、学校に馴染めず不登校になる子もたくさんいます。横並びで、みんなせーので同じことをしなければならない、そんな日本の教育が限界に来ているのではないかと、しょっちゅう指摘されていますが、変わりません。実際、英語とかプログラミング教育始める前に、もっと多様な学びの場を用意したほうが、よっぽどいいと思います。

スペクトラムとは、連続体という意味です。

誰だって「時間が気になって仕方ない」「うっかり忘れる」ことはよくあり、どこからが障害で、どこからが普通なのか、誰が決めるのでしょうか。誰にも決められないなら、困っている本人が決めたらいいと思います。困っている人が、困っている原因を知りたいと思うことは当然で、もしも楽になる手立てがあるのなら、使えばいいと思います。それが発達障害の診断を取ることなら、グレーゾーンの人でも取りたいなら取ればいいと思う。障害者として生きるか、個性として生きていくかも、自由だと思います。

もしも将来、ミッキーが一般就労を願ったら、私はできる限りのことはしてあげたいと思うし、逆にゲンキがどうしても会社でうまくやっていけず障害者手帳を取りたいと言ったら、それにも協力するつもりです。

ですがそれは、「本人が楽になる」ことが大前提で、親が楽になるため、先生が楽になるため、医者のためでも製薬会社のためでもない。それが「発達障害バブル」や「発達障害ビジネス」を考える上で、大切かなと思います。

profile

筆者:nontan
男の子3人を育てています。
長男ゲンキ(2009年生)
こだわりの強いグレーゾーンBOY
+アトピー&卵アレルギー

次男ミッキー(2012年生)
ASD+ADHDのハイブリッドBOY
+ぜんそく&卵エビカニアレルギー

三男ユウキ(2015年生)
今のところ普通に見えるけれど…アレルギーなし

出産前は書店勤務&JPIC読書アドバイザーとして活動していました。子育てが一段落したら、読み聞かせ活動を再開したいです!
はじめての方は、こちらの記事をまずお読みください。

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